コラム:歴史ある街並みが広がる街「堺」
堺のランドマークといえば、エジプトのピラミッド、中国の秦の始皇帝陵と並び、世界三大墳墓に数えられる仁徳天皇陵が真っ先に思い浮かびます。全長486m、日本で最も大きい前方後円墳です。5世紀中ごろに約20年かけて築造されたと推定され、この時代に、仁徳天皇陵をはじめ、100数基から成る百舌鳥古墳群が形成されたといわれています。そして現在では、半壊状態のものを含め、前方後円墳20基、円墳21基、方墳5基の46基の古墳が残っています。
中世の鎌倉時代には漁港として発達し、室町時代から戦国時代にかけて黄金の時代を迎えました。この頃の堺は日明貿易や南蛮貿易の拠点となり賑わい、会合衆とよばれる有力商人がまちを統治する世界的にも珍しい「自由都市」として繁栄しました。

ところが、堺商人の栄華はそう長くは続きませんでした。豊臣秀吉の牽制を受けて大坂に移動させられ、大坂夏の陣で大火に遭遇し決定的な被害を受け、その自治能力を失いました。
それでも、堺は「商人の町」から、「職人の町」へと変化し、明治以降、急速に近代化が進み、力強い発展を遂げていきました。
以上のように、中世に貿易、商業が栄えていた堺は、技術・文化の発信地であり、「ものの始まりなんでも堺」というキャッチフレーズがつくほど、日本初のものを生み出しました。

鉄砲は、種子島に伝えられた直後に、堺の商人が種子島を訪れ鉄砲の製法を学び、堺でつくられるようになったのが始まりだといわれています。また自転車も堺が初で、そのほか、線香や傘、三味線、タバコ庖丁など、日本初といわれる製品は多岐にわたります。
現代でも多くが伝統産業として多く残っており、上記の自転車もその一つです。国産自転車の約4割のシェアを誇り、自転車部品のメーカーのシマノは世界の自転車部品の6割のシェアを占め、世界最大の自転車部品メーカーとして有名です。堺包丁も伝統産業として広く知られ、全国の業務用包丁の70%以上のシェアを誇っています。

日本第一の文化・先進都市を誇り世界へとその活躍の場を広げた堺商人の進取の気風は、茶の湯の名人・千利休や、歌人・与謝野晶子など多くの文化人も生みだしました。千利休ゆかりの地ゆえか、全国有数の和菓子の町としても有名です。

堺の裕福な家に生まれた利休は、早くから茶の湯に親しみました。堺の豪商になった利休は、茶の湯をもって織田信長に接近し、その後、豊臣秀吉の茶頭として仕えながら、茶道を大成しました。北野の大茶会を取り仕切るなど、天下一の茶匠として権勢を振るいました。しかし、主君秀吉の反感を買い、切腹を命じられ自害しました。現在の茶道千家の始祖であり、その輝かしい功績から茶聖と称せられています。























