
街づくりの基本構想が発表されたのが1961(昭和36)年ですから、すでに40年以上の歴史を刻んでいる泉北エリア。ここ数年で堺市を中心としたニュータウン再生の動きが活発化してきています。泉北高速鉄道線の和泉中央駅周辺の開発が進んだことも影響し、人口の増加や学校の新設、商業施設の新規オープンといった動きが同エリアにも波及してきています。今後の新たな発展が期待できるエリア、と言えるでしょう。
その一方でこのエリアは、古墳時代から平安時代にかけて須恵器の一大生産地として発展した、という歴史ある地域でもあり、いにしえの繁栄を感じる資料館や寺社仏閣などもエリア内に点在しています。また、公園や貯水池など水や緑の豊かな自然に囲まれた環境も大きな特徴です。
大阪府が1961(昭和36)年、泉北丘陵住宅地区開発事業の基本構想を発表し、開発がスタートした泉北エリア。今になってみると、このエリアは一気に現在の発展を遂げたようにも見えますが、その歴史を振り返ってみると、同エリアの開発・発展は、実は泉北高速鉄道線の延伸とともに広がってきた、ということがわかります。
泉北エリアで最初の入居が始まったのは、ニュータウンの基本構想の発表から6年後の1967(同42)年。さらに泉北高速鉄道線が中百舌鳥~泉ヶ丘間で開通したのはさらにその4年後の1971(同46)年のこと。当時、泉北エリアの人口は2万人を超えていた、と言います。
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西日本最大級の住宅都市「泉北」
大阪府が1961(昭和36)年、泉北丘陵住宅地区開発事業の基本構想を発表し、開発がスタートした泉北エリア…







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